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『四十二番街』(1933年)監督:ロイド・ベーコン 出演:ビービー・ダニエルズ:第30回

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圧巻のダンスシーンが満載!ミュージカル映画の金字塔『四十二番街』
圧巻のダンスシーンが満載!ミュージカル映画の金字塔『四十二番街』 - (C)Warner Bros. / Photofest / ゲッティイメージズ

 1929年からの世界大恐慌によって、どん底に突き落とされた米国経済。活況を呈していたブロードウェイのダメージも甚大で、大勢のミュージカル関係の人材が新たな仕事を求めてハリウッドに流れた。折しも、1929年には世界初の全編トーキーによるミュージカル映画『ブロードウェイ・メロディー』が誕生していた。ハリウッドの技術の進化にブロードウェイの人材が加わり花開いたのが、エポックメイキング的なミュージカル映画とされる『四十二番街』(1933年)だ。(今祥枝)

 原題は「42nd Street」。従って『四十二番街』という邦訳については故・淀川長治氏をはじめ多くの指摘があるのだが、語感を優先したのだろうか? 真相はさておき、『四十二番街』はマンハッタンにあるブロードウェイの象徴、タイムズスクエアのすぐ近くにあり劇場が軒を並べる42丁目をタイトルに冠するバックステージものの傑作だ(作詞アル・デューン、作曲ハリー・ウォーレン)。当時量産されていた人気の題材だが、本作ではブロードウェイの舞台がどのようにして初日を迎えるかが、コンパクトにわかりやすく描かれている。

 株の大暴落で心身ともに疲弊した名演出家ジュリアンワーナー・バクスター)が、新作ミュージカル「プリティ・レディ」を上演するというニュースが駆け巡る。オーディションを経て、ジュリアンの厳しい指導の中、出演者たちが5週間後のフィラデルフィアでのプレミアに向けて猛練習する様子が映し出される。だが、翌日に公演を控えて人間関係のもつれから、主演女優ドロシー(ビービー・ダニエルズ)が怪我をし、コーラスガールの新人ペギー(ルビー・キーラー)が急遽主役に抜擢される。これぞまさしくショウ・マスト・ゴー・オン。何があろうとも、舞台の幕は開くのだった。

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 冒頭から、とにかくタップ、タップ、タップ! 軽快なリズムを刻むタップダンスは、本作の最大の魅力であり全編を通しての見せ場である。後年、1980年にブロードウェイで舞台版が初演されてロングランを記録し、日本でも「フォーティーセカンド・ストリート」のタイトルで上演され、また来日公演もあったので、映画ではなく舞台で知る人も多いのでは。映画版とは物語など異なる部分もあるが大筋は同じである。私は2001年のリバイバル版をブロードウェイで観たが、とにかく物量作戦といった感じの50人ものダンサーによるレビュー=タップダンスには、ただただ圧倒され、圧巻だった。後にも先にも、あれほどのタップの群舞を堪能できた作品もないというほどで、その見どころは映画版とも共通している。

 とりわけ、映画史に残るミュージカル・シーンの傑作とされているのが、ラストの30分近くに渡る劇中劇「プリティ・レディ」だ。ペギー役のキーラーはブロードウェイで活躍した経歴の持ち主で、夫は『ジャズ・シンガー』(1927年)などの人気スター、アル・ジョルソン。本作でキーラーは、とりわけタップダンスに卓越したところを見せて一躍、売れっ子となった。ほかにペギーに好意を寄せるダンサーのビリー役でディック・パウエル、ミュージカル女優アン役でジンジャー・ロジャースが出演している。ロジャースは、すぐにフレッド・アステアとのコンビで黄金時代を築くことは周知の事実。キュートな好青年風のパウエルもまた、キーラーとともに1930年代のミュージカル映画を牽引する存在となっていく。

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 特筆すべきは、ブロードウェイで舞踊監督として活躍し、1930年代に映画界に進出したバズビー・バークレイによる振付けだ。ご存じのように、バークレイは「映画ならでは」の醍醐味にこだわった振付け、画作りで一斉を風靡したコリオグラファー(振付師)。特に大人数のダンサーを真上から見下ろす万華鏡のような映像、いわゆるバークレイ・ショットは、本作で最も観客を沸かせたシーンで見事! ウェディングケーキのように3段重ねになった回転する台に乗ったダンサーたちが、踊ったりリボンを持ったりと趣向を凝らしたレビューを、真上から、真横から、手前から、奥からと縦横無尽にカメラが捉える。一方で、京都の伏見稲荷大社の千本鳥居のごとく、ずらりと並んだダンサーたちの足をスクリーンいっぱいに映し出すなど、独創的でゴージャスなバークレイ・ショットの数々は、その後のミュージカル映画において定番となるほどの人気を博した。

 もっとも、個人的には劇中劇の終盤、ニューヨークの街の喧騒が再現されるテーマ曲「42nd Street」のナンバーが白眉だと思う。ペギーがソロで、「誰もが踊る街 さあ出かけましょ 42番街へ タップの音がこだまして 音楽が鳴り響く42番街へ/いろんな人が行き交う街 暗黒街とエリートが交差する42番街」と歌い、タップを披露する。マンハッタンが現在のように家族連れも安心して楽しめる街になったのは、比較的近年のこと。この当時のマンハッタンはいかばかりだったかという雰囲気は、ペギーのソロに続く街の喧騒を舞台上に再現した圧巻のフィナーレが、臨場感たっぷりに伝えている。女性が襲われたり、発砲があったり、活気がある一方で騒々しく危険で、これこそがニューヨークだといわんばかり。いや、おそらく1度でもマンハッタンを訪れたことがある人なら、今でもざっくりとこの地を表現するなら、このダンスナンバーこそがそれだと思うのではないだろうか。やがて、劇場のネオンをバックに大勢のダンサーが歌いながらタップを踏み、「淫らで 派手で スリルに満ちた42番街」と歌い上げながらフィナーレを迎えるシークエンスには、作り手たちのこの地への憧憬、限りない愛を感じさせるものがある。

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 こうして書くと、ダンスナンバーばかりが見どころのように思うかもしれない。確かに、物語は極めてお決まりのパターンではあるが、改めて観ると89分という尺の中で、さまざまな普遍的な要素がぎゅっと詰まっていることに驚かされる。

 冒頭、オーディション会場にずらりと並んだ女性たちが「裾を上げろ!」と言われて足を見せる。それをにやけ顔で客席で眺めるスポンサーのじい様ものんきな感じなのでニクめないが、「まるで家畜の品評会ね」と女優たちが呆れ顔でいうシーンには苦笑い。この調子で終始一貫、女性差別的な表現はそれなりにある。圧倒的に時代というのはあるなあと思う反面、少なくとも実力以前に容姿で選別される苦痛は『コーラスライン』(1985)あたりでも描かれているし、ショウビジネス界においては普遍的なものだろう。金を持つスポンサーをつなぎとめておくために、人気女優が自分の私生活を犠牲にしたり、スタッフが自分の恋人に役を与えるために口を利いたり。明るいトーンで話がさくさく進むからサラっと観てしまうが、実は笑えない話もあるかもしれない。同時に舞台裏の過酷さや、ラストシーンのジュリアンが観客の感想を聞きながら座り込む姿には、今も昔も、表には決して出ることのない裏方の苦労を思い知らされる。

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 一方で、観るたびにぐっとくるのは、ドロシーが開演前にペギーのもとを訪れるシーンである。怒っているのかと思いきや、「大丈夫よ、観客は味方。若さと美しさで観客を魅了できる」と、心からの励ましの言葉を贈るのだ。その時のドロシーの表情がなんとも複雑で、自分はこれからは犠牲にしてきた愛を大切にすると言いながらも、新たな才能に追い抜かれていくことへの寂しさがにじむ。「私が羨むような舞台を見せてよ」とペギーを舞台へ送り出す時の今にも泣きそうな表情には、胸が締め付けられる。冒頭から美声を聞かせるダニエルズだが、このシーンだけでも記憶に残る名演だ。ドロシーというキャラクターは、キャリアを優先させたがゆえに恋人を遠ざけてしまう。キャリアか結婚かといった悩みは、いつの時代にも女性には付きまとう問題なのだ。

 このシーンには、もう一つ重要なメッセージがある。それは、私なんかが……と尻込みするペギーに、「今度チャンスを手にするのはあなたよ」というドロシーの台詞に込められた“アメリカン・ドリーム”の精神である。主役の怪我でチャンスをつかんだペギーは、いわゆるシンデレラガールとなるわけだが、観客も同じように夢を見て、気持ちを鼓舞されたに違いない。現実はつらくとも、劇場ではひとときの夢を見ることができる。それこそが、エンターテインメントの役割というものだろう。

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