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第1回 『野火』への道~塚本晋也の頭の中~

『野火』への道

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 大岡昇平の原作小説「野火」の映画化を思い立ってから二十数年。塚本晋也監督が遂に夢を実現し、映画『野火』が7月25日に東京・渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開されます。劇場映画デビュー作『鉄男 TETSUO』(1989年)から常に独創的かつ挑発的な作品を発表し続けてきた鬼才がなぜ、戦争文学の代表作といわれる「野火」にたどり着いたのか? 製作過程を追いながら、塚本監督の頭の中身を全8回にわたって探っていきます。(取材・文:中山治美)

■『野火』への道

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大岡昇平の原作小説「野火」を読んだ時にイメージした、このフィリピンの鮮やかな風景をカメラに収めた。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 塚本晋也監督が代表取締役を務める映像製作会社「海獣シアター」のパソコンには、数枚のイラストが保存されている。カラフルに彩られた風景と、その景色には不釣り合いと思える兵士。愛嬌(あいきょう)のある兵士たちの表情には一瞬、心がほっこりしてしまうが、紛れもなくこれは映画『野火』のワンシーン。目の下に隈(くま)のあるやつれた兵士は、塚本監督自身が演じた主人公・田村1等兵であり、3人並んだ兵士は、田村がフィリピン・レイテ島をさまよっていたときに出会った伍長(中村達也)をはじめとする大島隊の面々だ。

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実写版の兵士3人。写真左から上等兵(入江庸仁)、伍長(中村達也)、一等兵(神高貴宏)© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER
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こちらは原作からのイメージで描かれた兵士3人 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

塚本監督が、パソコンを操作しながら解説する。
「これは、2012年11月に行った『野火』アニメーションのテストです。この頃から絵コンテを描いていたのですが、その絵コンテから実写でもアニメーションでも、どっちでもいけるように描いていました。どんな小さな規模でも実写にするか? どうせ小さいなら一人でとことん時間をかけてアニメにするべきではないのか? 極限の小さい映画は、自撮り『野火』しか浮かばず、この頃のことを思うと、自分が主演することのがっかり感が相当にあって、絶対アニメにしようと思っていたのです」。

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パソコンに保存された絵コンテを説明する塚本晋也監督(海獣シアター) © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

■自主製作で戦争映画に挑む

 改めて説明しよう。現在の日本映画の主流は、多数の企業が出資に携わり、万が一のリスクを軽減する製作委員会方式による製作。だが映画『野火』は、塚本監督のような世界的な著名監督には珍しい、自社の「海獣シアター」による自主製作・自主配給作品である。加えて、製作・監督・主演・編集・脚本・撮影の6役。普段の映画作りでなら当然のスタイルも、『野火』においては望んだことではなかった。戦闘シーンに衣装や美術と戦争映画は多額の製作費を要するゆえに出資会社を募ったが、賛同を得られずに自主製作にせざるを得なかったという表現が正しい。

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フィリピンの花々を撮影する塚本晋也監督。 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

塚本監督が当時を振り返る。
 「『双生児 - GEMINI - 』(1999年)で海外の映画祭を回っていた頃に、フランスの有料テレビ局CANAL+から“何か企画を出してほしい”といわれて、『野火』を提出しました。当時、同局は映画製作にいっぱい出資していたんですね。当初の予算は6億円。しかし金銭面で折り合いがつかず、その後、釜山国際映画祭の企画マーケットに参加して出資会社を探しましたが、やはり折り合いがつきませんでした。

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 自分としては、ボランティアで始まり、後にプロへと成長してくれたスタッフをここぞとばかりにフィリピンに連れて行き、多くの人の共感を得られる有名な俳優さんを起用して、とても大きな、自分の集大成のような作品にしたかったんです。でも、この頃から、問題は金銭的なことだけじゃなく、戦争を懐疑的に描く、ということ自体がだんだん難しくなってきているのに気づきました。国内でも新たな企画の話になっても、『野火』の話をしだすと“で、他の企画は?”となんとなーく話をそらされるような状態でした」。

 しかし、塚本監督の「撮りたい」という衝動は抑えることができなかった。インタビューなどでは繰り返し、「いつか『野火』を撮りたい」と自分に言い聞かせるように公言した。一方で、折り合わない現実があった。

選択肢は三つあった。
1.大規模な実写(折り合わない)
2.小規模のアニメーション
3.小規模の実写

 当時出した答えが、冒頭のアニメーションだったというワケだ。塚本監督といえば、日本大学藝術学部美術学科出身。商業デザイナーだった父親の才能を受け継ぎ、大体の作品では美術も自身で担当している。その優れた美的センスは、DVD-BOX「塚本晋也 COLLECTOR'S BOX 2001-2010」の特典として公開された『鉄男 TETSUO』の絵コンテからもうかがえ、2011年にはベネチア大学(ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学)の依頼でアニメーションも製作しているほどだ。

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こちらは貴重な映画『ヒルコ 妖怪ハンター』(1991年)のイメージイラスト。塚本監督は実に多才だ。 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

塚本監督がアニメ化を決意した胸の内を明かす。
「自撮り映画=一人でカメラを担いで、フィリピンで撮影することは本当に考えたんです。カメラは全てフィックス(固定)で撮れば、何とかなるのじゃないかと。でも、自分が主演となると、お客さんが観に来てくれなくなってしまう。アニメならば、絵なので、有名な俳優さんじゃなくてもいいし、吹き替えのために何日間か声優さんに来ていただけばいい。原作を読んだときにイメージした、異常なまでに美しい自然を再現するのが中途半端になるくらいだったら、アニメで思いっきり色を使ってやった方がいいと思おうとしました」。

 しかし、周知のようにアニメ版、『野火』は実現しなかった。そこから映画、『野火』完成までには何があったのか? 一本の映画が生まれるまでの長き道のりは続く。

映画『野火』は7月25日より渋谷・ユーロスペースほかにて公開
オフィシャルサイト

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