伝説の撮影監督・宮川一夫さん、名作の撮影秘話を息子と仲間が明かす

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左から、宮川一夫さんの長男・一郎さんと撮影助手を務めていた宮島正弘さん

 日本が世界に誇る映画監督、黒澤明小津安二郎溝口健二などとタッグを組んできた名撮影監督の宮川一夫さんの回顧イベント「Kazuo Miyagawa: Japan’s Greatest Cinematographer」が、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、近代美術館、フィルム・フォーラムで現在開催中。宮川一夫さんの長男・一郎さんと長年、宮川一夫さんの撮影助手を務めていた宮島正弘さんが、4月14日(現地時間)、ニューヨークのジャパン・ソサエティーでインタビューに答えた。

【作品写真】宮川一夫さんが撮影監督を務めた名作『羅生門』

 同イベントでは、小津監督の『浮草』や黒澤監督の『羅生門』をはじめ、およそ30年間にわたり宮川さんが関わった代表的な27作品が取り上げられており、稲垣浩監督の『無法松の一生』、森一生監督の『ある殺し屋』、市川崑監督の『東京オリンピック』、三隅研次監督の『鬼の棲む館』、増村保造監督の『刺青』、溝口健二監督の『赤線地帯』といったそうそうたる作品が上映されている。

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 撮影監督になる前は墨絵を学んでいたという宮川さん。モノクロ映画の時代、それは役立っていたのだろうか。一郎さんは、「父が生まれたのは明治(時代)で、あまり明かりのない時代でした。周りの環境自体が薄い墨絵のようだったと思います。それに今でも京都は、暗闇がしっかり存在し、湿気はあり、『雨月物語』のような霧が、空気の中にある感じです。だからロサンゼルスで生まれた人が墨絵をやるのとは全然違う墨絵を、父は描いていたと思います。根本には、墨絵よりもむしろ、京都の環境自体が影響したのではないかと、僕自身は最近思っています」と語り、宮川さんが親の代から京都河原町御池で暮らし、その生活にどっぷりつかっていたことが影響を及ぼしているのではないかとつけ加えた。

 『浮草』では、俯瞰の映像、土砂降りの雨のシーン、そして毎シーンごとの赤色の使い方など、小津監督が普段あまり表現しない映像が観られ、監督とも勝負して新しいものを生み出そうとしているように見える。長年宮川さんのもとで働いていた宮島さんは、「宮川さんは監督に主張するというよりは、いつの間にか、そういう風に撮っていましたね。もちろん、監督がそのシーンをどのように考えているか聞くけれど、宮川さんはそれ以上にシーンのことを考えていたと思います」と明かす。続いて、「父は監督が思い込んだものを裏切りたいタイプでもありました。宮島さんもご存知だと思いますが、それはあまのじゃくと言って良いくらい、言われたことは全然聞かないんです。もちろん、都会人でしたから、聞いているふりはしますよ、けど『やっていることは違うじゃん』ということは多々ありました。技術的なもの以前に、その性格が父の特徴を出していると思います」と一郎さん。チャンバラ映画で、宮川さんがローラースケートに乗って撮影しようとしたときも、「誰もやったことがないから!」と監督を言いくるめていたのかもしれない。

 『羅生門』での鏡やレフ板を使った撮影について、宮島さんは「おそらく照明や技術の人たちと光を当てたい部分を、事前に話し合っていたと思います。影があって、光が木の中では届かない場合は、レフ版も使えないため、鏡を使って、その光を反射させて、レフ板に当てたり、撮影仲間が苦労して作っていました。もし監督が『何かしてくれ』と言えば、『できない』とは言えませんからね。その言葉に合わせなければいけませんから、キャメラマンも必死だった。そのアイデアが良いか悪いかわからないけれど、まず一回やってみようという感じで、その後何度も繰り返していました」と当時を振り返った。あくなき発想と挑戦が素晴らしい映像を生んできたようだ。

 宮川さんは、女優の表情を捉えるのも非常に上手だった。間近で見ていた一郎さんは、「メイクを自ら施すこともありました。若尾文子さんに眉毛を描いている写真映像が残っているんです。メイクのシャドウまで照明さんがやるわけにはいかないので、その場でもっと眉毛を伸ばせと指示したり、自分で描いているときもありました。ときには、『抹茶(の粉)を買ってこい』と言って、モノクロ映画のメイクのシャドウとして使っているときもありました」と明かす。

 『影武者』では、宮川さんが病気で降板したすぐ後に勝新太郎さんが主役を降ろされた。もし勝さんとも親しかった宮川さんが、現場にいたら状況は変わっていたのだろうか。実際に現場にいたという宮島さんは、「もう無理だったと思います。勝さんと黒澤さんがけんかしているのを他のスタッフも見ていて……。宮川さんは病院でしたが、もし現場にいても、おそらく『(けんかを)やめとけ!』とは言わなかったと思いますね。むしろ僕にしてみれば、あの場所に宮川さんが居なくて良かったと思います。どちらに付いても、その後撮影をしづらくなりますからね。あの出来事の30分後に宮川さんに(一件を)伝えると、とても残念がっていました。頭の中では、勝さんのイメージで撮ろうと思っていましたからね」と振り返った。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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