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私的名画座体験-特集

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私的名画座体験特集

名画座がめっきり姿を消してしまった昨今。DVDやBS・CS放送などでも名画を観られるようになったのは便利な反面、決して環境のよくない名画座体験は懐かしくもある。映画を専門とするライター諸氏は、どこでどんな映画を観ていたのだろうか? そこで当サイトでもおなじみのライター陣が、自身の名画座体験や個人的に思い入れのある名画座でのエピソードをご紹介します!

中山治美

ジェームズ・ディーン『エデンの東』を観て、問題児である筆者は「わたしの話だ」と号泣。ほかキム・ギドク『悪い男』、チャン・イーモウ監督『活きる』など逆境に耐える話が好き。現在、韓国映画『息もできない』に萌え中。

黒澤特集で衝撃体験&多くの名画座閉館に立ち会った関西時代

筆者は茨城県水戸出身。80年代は名画座はもちろんレンタルビデオ店もなく、旧作観たさに、「ぴあ」片手で列車に片道2時間揺られて東京へ。目指すは黒澤明特集を上映していた池袋の旧文芸座だ。まだ幼気な女子高生だった筆者は、猥雑な繁華街を通り抜け、古臭い劇場に入るのに戦々恐々。おまけに館内はムサ苦しい男どもでいっぱいだ。致し方なくを立ち見することに。しかし上映途中に男性が目の前に立ち、スクリーンが見えなくなった。どうしよう!? とモジモジしていたら、隣に立っていたパンチの効いたお兄さんが「コラ、兄ちゃん! 前に立ったら映画が観えないやんけ。なぁ、姉ちゃん」とわたしに同意を求めつつ、男性を一喝。何を観たのかタイトルも忘れたくらい強烈で、黒澤映画より感激した良き想い出だ。

その後、大学&スポーツ紙記者時代の7年間を関西で過ごしたが、多くの名画座閉館に立ち会った。大森一樹監督も通った京都・京一会館(1988年閉館)、下宿の近所にあった京都・四条大宮のコマ・ゴールド(1990年同)、大阪・毎日新聞社地下にあった大毎地下劇場(1993年)etc.。そして本企画のために写真を整理していたら、大阪・梅田のコマ劇場改築と共に1992年に閉館したコマ・シルバー前で撮った写真が出て来た。伊映画『ひまわり』などを上映する「さよなら興行」の前が、なぜか『ダイナウォーズ 恐竜王国の大冒険』(1992)。日本語吹き替えが田代まさしだ。そりゃ閉館するわな……とある意味納得した。

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山縣みどり

今年の映画始めはロンドンで見た『Nowhere Boy』。ジョン・レノンの複雑な生い立ちが描かれ、アーティストには痛みがやっぱ必要と実感。成長したT・ザングスター君のポールにも感動。胸キュンな青春映画はオバフォー女の回春剤ね。

オタク心を養成してくれた2つの名画座

両親ともに映画好きで、家族全員で映画館に行くことが多かった我が家。ティーンになって遊ぶエリアが拡大すると、足が自然に映画館に。当時、私が住んでいた熊本市内には「センターシネマ」と「テアトルデンキ」という名画座があり、2館とも自宅からすぐというのが運のツキ!? この2軒の名画座が私を立派なオタク少女に養成したといってもいいだろう。

前者はロードショー公開されなかった時期外れの新作やB・C級映画を2本立てで上映し、入場料は確か250円程度と記憶している。映画通がうなるような凝ったプログラムではなかったが、単なる映画好きな少女には十分。2週間おきに変わる作品を心待ちにしていたものだ。少ないお小遣いなのでパンフレットを買うには至らず、エンドクレジットまで食い入るように見入ったものだ。『歌え!ロレッタ愛のために』とか『ウエディング』『ポパイ』といったメインストリームからちょっと外れた映画を上映してくれたのが心底うれしかった記憶がある。

後者は「浄行寺」というバス停の真ん前にあった名画座。かなりさびれた建物で、時には東映ヤクザ映画などもリバイバル上映していたため、ちょっと入りにくかったのは事実。が、名画座にしては大きなスクリーンは魅力的で、とある病院に建て替えられることが決まった後、『アラビアのロレンス』や『サウンド・オブ・ミュージック』『十戒』といった名画10本を連続上映するという映画ファンを狂喜乱舞させる企画を敢行。普及の名作を大スクリーンで堪能させてもらった体験は私の宝物だし、死ぬまで忘れることはないだろう。

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相馬学

昔はアートシアター作品にも足しげく通ったが、今ではアクションとスリラー、バカ映画に悦びを覚えるフリーライター。クローネンバーグ、ホドロフスキーはもちろん、グリーナウェイ作品も今思い返すとホラーだったな。

真夏にグリーナウェイ3本立てと“格闘”!

ミニシアターが雨後のタケノコのようにボコボコと誕生した80年代、地方から上京した映画ファンにとって未知の映画を体験できることは本当にうれしかった。が、現実は厳しく、貧乏学生には鑑賞本数も限られる。それに時代はバブリーで、一本の映画を見るためだけにオシャレな六本木に足を運ぶのもオノボリさんには腰が引けた。でも、三鷹なら普段着で行けるぜ!

というワケで三鷹オスカーだ。ロードショーから時間を経ての上映ではあったが、ここなら3本立て・低料金でミニシアター系の作品と格闘することができた。“格闘”と言うと大げさに聞こえるかもしれないが、観客に思考を強いるミニシアター系の映画を3本も続けて見るのは、ある意味、闘いである。

とりわけ記憶に残るのはピーター・グリーナウェイ作品の3本立て。日曜の三鷹オスカーはいつも混雑しており、昼過ぎにノコノコと出かけるなら最初の一本目は立ち見覚悟だ。しかもその日は真夏日で、満員の館内はエアコンのキキもよろしくない。内臓に食物が溜まりっぱなしの『建築家の腹』を汗だくで立ち見し、入れ替えのスキを突いて席を確保してから、『ZOO』の死骸腐敗描写で、脂汗にまみれる。3本目の『数に溺れて』ではほとんど解脱状態で、グリーナウェイならではのシンメトリーの映像美を呆けながら見た。そんな“闘い”も今では懐かしい。三鷹オスカーは、“映画鑑賞”が極めて能動的な行為であることを教えてくれた。

今祥枝

物心ついたころからアート系一辺倒。が、大学時代に確か歌舞伎町で改めて観たオールナイト上映の『インディ・ジョーンズ』シリーズで「バランスが大切!」と改心した(笑)。エリック・ロメールの訃報を寂しく思う。

無心にスクリーンに向かっていた学生時代

映画好きの両親のもと、幼少時はテレビで放映する王道の名画をよく観た。『ドクトル・ジバコ』や『男と女』など、子ども過ぎてわからない部分もあったが映像や音楽の美しさ、心地よさといった感覚は今でも鮮やかによみがえってくる。
80年代半ば以降は、当時全盛のミニシアター&名画座へ。学生時代にどっぷりつかったヌーヴェルバーグで思い出深いのはシネヴィヴァン六本木で、お気に入りはエリック・ロメール。『緑の光線』『獅子座』『春のソナタ』やレイトショーなど、背伸びして新作・旧作を網羅した。ジャック・リヴェットの『修道女』に衝撃を受けた三百人劇場では、頭でっかちの筆者もロベルト・ロッセリーニの3本立てに苦戦した記憶が。

そんな中で最も足しげく通ったのは、菓子パン持参で観た三鷹オスカーの3本立て。味のあるイラスト入りの月間スケジュール表には、名画はもちろんハリウッド大作から大映の『大魔神』シリーズまでユニークなラインナップがぎっしり。『恐るべき子供たち』『賭博師ボブ』『マンハッタンの二人の男』のジャン・ピエール・メルヴィル特集やフレッド・アステア特集、サタジット・レイ特集など、本当に多くを学ばせてもらった。またピーター・グリーナウェイ特集やルイス・ブニュエル特集など、寝不足だったり環境の悪さも手伝って途中で具合が悪くなったことも(笑)。閉館時にはメルヴィル特集のポスターをゲットして長いこと部屋に飾っていたっけ。とにかくたくさんの映画を吸収しようと無心にスクリーンに向かっていたことが、今では懐かしく思う。

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