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宇津井健さんのようになりたい…水谷豊、お別れの会で弔辞

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宇津井健さん 祭壇には白いバラがちりばめられた
宇津井健さん 祭壇には白いバラがちりばめられた

 3月14日、慢性呼吸不全のために82歳で逝去した俳優・宇津井健さんの「お別れの会」が1日、ホテルオークラ東京で行われ、水谷豊が弔辞を読み上げた。優しい人柄で多くの人たちに慕われた宇津井さんらしく、この日はおよそ1,000人が弔問に訪れ、宇津井さんが好きだったという白いバラを献花しながら、故人をしのんだ。

 故人の意向により、通夜・告別式は身内と親族のみの密葬という形で済まされており、このたびは改めて「お別れの会」が開かれた。祭壇は白いバラを基調に、コチョウラン、カスミソウなどがちりばめられたものとなった。

 この日、弔辞を読み上げたのは、俳優の水谷豊。1977年のテレビドラマ「赤い激流」が初共演だったという二人。ピアノの才能はあるのに粗野で乱暴な若者・敏夫(水谷)と、その才能を見抜き、世界に通用するピアニストに育てようとする音楽大学助教授(宇津井さん)による師弟愛を描いた同作の劇中には、水谷が「自分はサラブレッドじゃない。荒ぶる馬で、ダメな人間なんだ!」と生まれや育ちの悪さを嘆き、屈折した心情で泣き叫ぶシーンがあったという。

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 そのシーンの撮影直後、宇津井さんは水谷にそっと「本当は、馬はみんな馬なんだよね。サラブレッドだから立派で、荒ぶる馬だからそうではない、ということはない」と耳打ちしたといい、水谷は「そこに馬が大好きな宇津井さんの、人間としての基本があると思いました」と述懐する。

 そんな宇津井さんから、「何事にも笑顔で向かうこと」「いつでもユーモアを忘れないこと」という「二つのこと」を学んだという水谷。ある日、宇津井さんとばったり会った時に「豊ちゃん、『相棒』は良いドラマだね。いつか出たいんだけど、ただし、君の相棒役は無理だけどね」とユーモア交じりに言われたことなどを明かしながら、最後に「宇津井さんに会えて良かった。もしどんな人になりたいかと言われたら……」と切り出した水谷は、宇津井さんの遺影を見上げ、一瞬、グッと言葉を詰まらせたが、振り絞るように「宇津井健さんのようになりたいです」と付け加えた。(取材・文:壬生智裕)

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