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『博多っ子純情』主演・光石研×原作者・長谷川法世×監督・曽根中生!伝説&奇跡の3ショットが実現!

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(左から)曽根中生監督、光石研、長谷川法世
(左から)曽根中生監督、光石研、長谷川法世

 26日、大分県の由布市湯布院公民館で開催中の第36回湯布院映画祭で「光石研特集」が開催され、光石の転機となった『Helpless』の青山真治監督、そして光石のデビュー作『博多っ子純情』の原作者、長谷川法世、そして死亡説も飛び出していた伝説の映画監督、曽根中生監督が光石の晴れ舞台に華を添えた。

 17歳、デビュー作にして主役を飾った傑作『博多っ子純情』から33年。それ以降の主演作品は現在公開中の『あぜ道のダンディ』のみ、という役者人生。日本映画界屈指のスーパーサブとして、時には映画に溶けこみ、時には主役を喰うような存在感で画面を圧倒。最初は彼の存在を意識していなかった観客も、気づくといつの間にか印象が植え付けられてしまうという稀有な存在だ。今回の特集上映は、そんな俳優・光石の魅力に迫ろうという趣旨で企画された。

 光石のデビュー作となった『博多っ子純情』のメガホンをとった曽根監督には、死亡説・行方不明説などが都市伝説のようにささやかれていたが、このたび20数年ぶりに公の場に登場。原作者、そして主演俳優がご対面を果たすという「日本映画史的な事件」を目撃しようと、湯布院には全国から多くの映画ファンが来場した。本作を久々にスクリーンで鑑賞したという曽根監督は「恥ずかしくなりますね。今度新しく撮る機会があったらもっと面白い映画を作ります」とあいさつ。また光石の演技についても「芝居がうまいんですよね。うますぎるんで、それを押さえることが精いっぱいだった。もっと下手な役者ならよかったなと思ってましたよ」と絶賛し、光石が「いやいやいや」と謙遜する一幕も。

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 またトーク中には「『博多っ子純情』に続編の予定はなかったのか?」という質問が飛び出し、長谷川の高校の後輩である石井聰亙(現・岳龍)監督で製作される予定があったという秘話が明かされた。「『あんた、カメラを固定して撮れるか?』と聞いたら大丈夫だというんで(笑)。それは資金的な問題で話自体が立ち消えとなったが、観てみたかったですね」と残念そうに語る長谷川だった。

 そんな光石が、デビュー作の『博多っ子純情』と並んで、役者としての転機となったと挙げるのが『Helpless』だ。両者には「九州弁」という共通したキーワードがあるが、光石も「今は東京暮らしの方が長いんですけど、いまだに変換作業をしなくても、そのまま瞬発的に言葉が出てくるんですよね。ストレートに演技が伝わるような気がします。自分のターニングポイントになっているのは九州弁を話す役だったんで、九州の地が味方をしてくれる気がします」と述懐。光石が駆使する九州弁は、その言葉のリズム、響きなども含めて、映画の画面に躍動感を生み出しているが、光石と同郷の青山監督は光石の九州弁に心酔しきっている様子で、『EUREKA ユリイカ』『サッド ヴァケイション』と合わせて「北九州サーガ3部作」と呼ばれる傑作を生み出している。「別に北九州でやることを自分から求めているわけでなく、光石さんとやりたいから北九州でやるんです。こういう俳優さんはいないですよ。こんなことを言うと北九自慢、光石自慢にしかならないけど、僕にとっては宝みたいな存在」と光石愛をせつせつと語る青山監督だった。

 常々、光石が「恩人」と語る人たちに囲まれ、終始、恐縮していた光石。「まだまだ俳優として頑張っていきますんで、よろしくお願いします」と決意を語ると会場からは大きな拍手が起きた。(取材・文:壬生智裕)

第36回湯布院映画祭は8月28日(日)まで由布市湯布院公民館で開催中

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